限界事例

さて、昨日は、自己破産申立の人の債権者集会でした(本人の了解を得て、私のHPに一部掲載しています)。
つまり同時廃止(破産の開始決定と「同時に」破産手続を廃止、つまり終了するという手続ではない)ではないということです。
これは「管財事件」という破産の種類の時に行う手続です。
基本、破産する人は「お金がない」から破産するんですが、ここで言う「お金がない」というのは「借金に比べて、その返済をするためのお金がない」ことを言うわけで、お金がゼロ円であるということを意味しない訳です。
普通は、少なくても持っているお金は、債権者に平等に渡しなさいということになるのですが、その配当と呼ばれる弁済を行うのは、裁判所が選任する「管財人」という職務の人が行います。
この管財人の費用、つまり報酬が、債権者への返済に優先される結果、破産者が持っているお金の金額次第では、管財人の報酬で精一杯ということもあります。
この場合、管財人を付けたのは良いが、結局配当できないから、破産手続はおしまい、ということもあります。
これを、先の同時廃止に対して「異時廃止」と言います。
今は少額管財という手続があって、破産者の素行、破産に到った経緯に問題がある場合には、管財人を選任して、その調査を行うということだけのために、管財手続が行われることがあります。
破産者の素行に問題があるというのは、浪費など、借金の理由が好ましからざる理由によるということを示すのが大半です。このため、破産者につき、免責を認めるのが相当かどうかということを判断するための手続としての意味を持つことになります。
で、私の依頼者ですが、3年弱の間に出来た借金が2000万、うち、1500万が外国為替証拠金取引(FX)というもの。
まあ、平たく言えばきわめてギャンブル性の高い金融取引で、しかも、一旦多額の損失を出したにもかかわらず、高所得だった会社員としての地位を捨てて、退職金で清算しながら、残ったお金を再びFXにつぎ込むという状態でした。
もう、相談聞いた瞬間に、免責されるんかいな、という状況で、ダメもとでやる。管財でやると説明しました。
申立の費用は全部アコムに出してもらいました(笑)まあ過払いという意味ですが。
これも中途半端に取引が中断していて(しかもご丁寧に最初の取引が10年前に終わっていて、通算しないと過払いにもならない)、いやな要素がありましたが、そこは私の日頃の行いが良かったために、なんとか200万円を返していただけました(事例の特徴に鑑み、さすがに全部返せと言えない謙虚さは示し、最終取引日以降の利息はカットさせていただきましたが)。
そこから、私の過払い報酬と申立費用を差し引いて、なんと、申立人の自由財産まで99万円を留保した上で、残りを全部、管財人の報酬として裁判所に納めました。
で、当然、管財人も、「現在の」破産者の境遇には同情するものの、免責についてはハードルが高いな、と思うわけです。
そこで、代理人共々呼び出されて、経過説明をしました。管財人はFXについて何か宥恕(情けを掛けるという意味の難しい言葉です)することがあるかどうかをさかんに、聞きだそうとしましたが、さすがに、そこで言い繕うのは後ろにいる裁判所が納得しないだろうと、最初の受任の時から、家計収支表は1円単位まで付けること、現在の生活が、過去の反省に基づくもので、規律正しいものであることを言葉だけではない反省の姿勢として示すことをアピールの内容としました。
また、相談直前の破産者は、当然生活も荒んでおり、奥さんに対しても、暴力をふるうようになり、離婚し別居の状況にありましたが、その奥さんも、完全に破産者を見放した訳ではなく、相談依頼時には同行していました。
そこで、奥さんには、同居の意向があるかどうか(配偶者の協力があるのとないのと、では生活の再建可能性は全く異なります)尋ねたところ、これまでの本人の対応を見る限り、再び離婚直前の状況に戻ることにおびえていました(無理もないですが)。
そこで、私は、奥さんの気持ちはもっともだ、あなた自身が変わることを言葉ではなく態度で示さないといけない、と説明し、条件を示しました。具体的には別居のままで依頼者の家計をチェックしてもらい、特にアルコールに依存している状況を解消することを示し、依頼者はそれに従うという条件で依頼を受けることにしました。
本人は過払い金のことはいろんな情報で知っていたものの、アコムからお金が取り戻せるとは思っていなかったらしく、その回収を報告した時点で、ようやく私のことを信用し始めたようでした。
それから先は、私の指示は守るようになり、昨日、管財人も、借金の原因のほとんどが投機的な行為によるもので、免責不許可事由に該当するが、本人は一度退職して清算していること、現在は定職に就き(相談時は退職直後で無職)、また配偶者(奥さん)も心を入れ替えた破産者と再婚・同居し、その生活の再建に協力して、現在は収入の範囲内で生活していること、今の生活は破産手続によって保護するに値するものであること、したがって非免責理由はあっても、裁量で(法律の規定は免責しないことに「できる」という規程があるが、その規定を適用するかしないかは裁判所の判断次第)免責を認めるのが相当と裁判所に意見し、裁判所によって免責を許可するという決定がなされました。
昨日の破産者は、最初に相談に来た日がウソのように、憑きものが落ちた晴れやかな顔をしていました。

弁護士の仕事はお金をもらって手続をするだけではありません。法律の手続がその人の人生の転機になるものであれば、その人の人生を好転させるための、ちょっとした後押しをすることがその内容です。
弁護士の費用は高い、馬鹿高い費用を取りながら偉そうだ、そんな怨嗟の声が非常識な司法改革により弁護士の尊厳どころか生存まで脅かされるようになった現在においても「ザマ見ろ」という論調で語られます。
世の中に残念な弁護士がかなりの確率で存在することは否定しません。しかし、今の間違った司法改革を直ちに辞めないと、その比率は減るどころか増える一方です。
そのことをご理解頂きたいと思います。

追伸
本日は長いブログなので、追伸躊躇しますが、
先ほど、会社法の最新版を開いて知識のオーバーホールしました。
司法試験の時はまだ「商法」って呼ばれてましたが、第2章 会社 の部分だけ取り出しても、もはや別の法律ですね。
無論そこから少しずつ、補充はしていたんですけど、もう会社の機関も株式も大きく変わってしまいました。
でも、もともと法律制定の理念と必要性は変わらないので、条文が変わっても、その条文の存在理由は分かるんですね。
逆に言えば、司法試験の理念というのは、法律の構造を理解し、その条文が示す要求が何であるかを見て知ることの出来る能力だと思うのです。