帰宅^^

さて、15分前に、京都の事務所に戻ってきました。
今日はひたすら疲れているので、詳細はまた今度
17時間も車運転しているし。

本当は、6日頃まで現地に居るはずだったんですが、被災地に弁護士が大挙して押し寄せたらしく、インフレになってしまいました。
岩手の海岸沿いを北から南下していこうとしたのですが、大槌町吉里吉里に入ったところで、昨日弁護士いらっしゃいましたよ?ということで、この先はかぶるし、もうええか?ということで、帰ってきました。
お世話になりました遠野のボランティア支援センターの皆様ありがとうございました\(^^)/

本日、5日ぶりにお布団で眠ることができそうです(^^;)。

どんなに弁護士が大挙して被災地に押しかけようと、被災地で、車中泊した弁護士はそうはいないでしょう。

一つだけ。
皆様は被災地と言われると、思い浮かべる地名がいくつかあるでしょう。
しかし、皆様が名前を知っているのは、報道されるからです。
私たちは、震災でキズを負いましたと、被災地が広報できるのです。
そのため、芸能人が炊き出しを行い、報道が取材を行い、そして、支援物資が集中し、ボランティアの県外からの受け入れも早くから整備でき、弁護士がスーツを着たまま、相談に行けるのです。
(最後のは本当かどうかは知りませんが、被災地にスーツを着てバッジをつけていったら、私が被災者だったら冗談じゃないと思いますが)。

しかし、このブログを読んだ人が聞いたこともない、あるいは聞いたことがあってもイメージできない被災地が数多く存在するのです。
キズを負ったらキズを負ったと、宣言することで治療を求めることができますが、本当に瀕死の状態になると助けを求めることもできないのです。
町が本当に壊滅すると、かろうじて九死に一生を得た人は、被災を免れた地域で避難生活を行わないとならなくなります。
ところが、マスコミは、悲惨な情景が画像として抑えられないために、壊滅した市街地の写真と避難所がセットになる地域、すなわち、岩手であれば、大船渡や陸前高田を、宮城であれば気仙沼石巻を好んで報道します。

できれば、被災地を平等に支援する気持ちを持ちたいものです(福島は人災ですね)。
私が、今回法律相談のボランティアに伺ったのは、岩手県宮古市でも、田老地区と言って、三陸海岸の岸壁に挟まれた入り江の集落で、漁村は全滅し、高台にあるリゾート施設「グリーンピア三陸みやこ」の体育館に、集落の生存者ほぼ全員が避難所生活を余儀なくされていた場所、釜石市でも、釜石市の中心部の、津波で倒壊した地域に残った避難所や、駅前に「毎日」岩手県弁護士会が法律相談を行っているシープラザではなく、少し内陸に入ったところにある、被災者が、分散して避難所生活を行っている小佐野の釜石市民体育館と、甲子中学、釜石高校、山田町でも陸中山田の北にある豊間根地区、船越にある青少年の家です。
これらは、被災を免れたからこそ、避難所になっているのですが、日常の替わらない生活の中に居て、なお避難所生活を余儀なくされている被災者への注目が薄れているのです。
特に宮古市田老地区などは、最寄りのローソンまで30kmくらいありました。
日中は道の駅で食事ができますが、夜間は無理です。
朝からの法律相談に備えて、避難所から2km離れた道の駅に車止めて、車中泊しました^^
避難所で寝泊まりしても、現地に負担かけるだけなので。一番重要なおトイレの近くでキャンプ張るわけです^^

なんか書き出したら結構書き進めてしまいました。