疑問

給費制廃止違憲訴訟も
武富士の役員に対する裁判も

なぜ、裁判の構造が同じなのだろう?

ちなみに、前者は裁判で争えるような内容とはとても思えない。
それこそ大好物のデモ、意見書、院内集会などの立法運動に適した課題じゃないか。

一方、後者は裁判で争うのは当然の内容だけど、なぜ立法運動のような裁判をするのか。

何をやっても同じことしか出来ないのは一体なぜ?
裁判所前のビラ配りなんて一体何の効果が?

一応予言しておくけど、もう彼らが裁判所で裁判という形で成果を上げることは二度とないのではないかと思う。