人は人、自分は自分

目の前の依頼者のためだけに一生懸命がんばります。

事件解決を通じて、その背景にある共通点を見つけ、同じ法律の適用、同じ解決を実現するためには、どのような証拠をもってどのような事実を指摘する必要があるのか。
そうしたことを常に考えながら事件の処理にあたります。
この体系化と言う作業は個別の事件解決の向こうにあるものであって、決して、全体の解決方法を声高に叫んで、目の前の事件を処理するのではありません。

この辺がクレサラ対協と180度ちがうところなんですね。
かれらとはもう思想信条が違うことは良く分かりましたけどね。