ものはいいよう

懲戒されても判例を提供するのは頭のおかしい証拠

まあそういうことなんですが、こういう表現だと反発を受けやすくなります。
同じ内容でも表現を替えるだけでソフトなものの言い方が出来ます。

判例を提供しないのは、自分で解決にたどり着く喜びを奪ってはいけないという側面があります。
一人一人が自分で考えることで正解にたどり着く喜びというのがあります。
たとえばクイズの番組を見ているとき、考えている最中に横から答えを言われたら、どう思いますか?
きっと腹立たしいでしょう。
たとえば推理小説を読んでいるときに、読み始めたばかりなのに犯人は誰々だといわれたらどうですか?

一人一人が一生懸命考えて行動するために、判例の提供はしないほうが良いのです。
私も人に教えてもらいたいとは思わないので、人には教えないのです。
今日からソフトなものの言い方心がけていきたいと思います。