判例を提供しないということ

よく勘違いしている人がいるんですけど、

判例を提供する義務はないです。
全くの個人の好意の問題です。

新しい判例というのは相手方の裁判上の抵抗を排除して、新しい道を築くことを言い、特に先例のない事件は裁判所を説得することも難しい訳で、相手方の抵抗も熾烈を極める訳です。


そんなとき、平気で証拠を偽造したり、本人の偽証を容認する弁護士が居るとします。
ここで勘違いしやすいのは、そういう弁護士に対し、報復として「判例を提供しない」という判断に至るのに、その弁護士が証拠の偽造に関与したとか、偽証に関与したとかを証明する必要はない訳です。
判例を保持する人間において、その弁護士がそういう行為に関与したという「心証を抱いた」というだけで十分です。
なぜなら、判例を提供するかどうかは全くの自由であり、動機の形成の部分に掛かることだからです。
極端な話、たまたま入ったラーメン屋のラーメンが美味しくなかったので、虫の居所が悪いから判例は提供しないという判断があってもぜんぜん問題ありません。

そのことが理解できない人が多いですよね。
裁判で非常識な対応をされても、他の弁護士には関係ないじゃないか、弁護士なんだから主張が対立するのは当然のことで、事件を離れたらそんなこと関係ないじゃないか。
あたかも正論のように聞こえますよね。

でも、寝つきが悪いとか、昨晩嫌な夢を見たことを理由に判例を提供しないといわれても、もともと何の権利もないので文句言えないわけです。
むしろ、ある弁護士が裁判上フェアではない方法で裁判を闘ったことを理由に判例の提供を断るほうがずっと正論ではないでしょうか。