裁判のスキルとは

得意分野を聞かれますが、今の弁護士全体を考えると「それ以前」の問題でしょう。
まず、裁判というのがどのように進行し、裁判官の思考過程がどうなっているかを理解した上で、裁判を進めてこそ、望む判決も得られる訳ですから。

弁護士の中には要件事実を馬鹿にしている人がきわめて多いのですが、せめて馬鹿にする資格ぐらい、備えてから馬鹿にすべきでしょう。

裁判所の基本的な思考方法というのは、原告による訴状で、「適用される法律」「法律が規定している効果」「法律の効果から、原告が求めている請求が導くことができるか」
これが第一段階です。これすら的外れならもう論外なのですが、実は、法律関係が複雑になると、この部分以外と難しいこともあります。
私、一度、この構成をどうするかで悩んで、生の事実は代わらないのに、選択的予備的な請求原因として訴訟物を5個くらい並べたことあります。普通は、事実がはっきりしている場合、法律構成を複数並べるというのは下手な鉄砲を数撃っているようにしか見えないので、しないのですが、このときばかりは、準委任契約に基づく求償請求、事務管理、保証債務履行の相続に基づく、第三者弁済による求償、不当利得を並べてみました。ある事実をどのように裁判所が評価するかなんてわからんもん、という本当に境界線上の事実でした。
まあ、過去にも法律構成を色々並べるというのは、このとき限りでしたが。

一方、事実関係につき、内心の意図により評価が変わる場合、つまり詐害なのか虚偽表示なのか、どちらかではあるが、いずれと判断するかは証拠の評価次第という事例でも、選択的択一的競合という関係にある事実関係に応じて、主位的予備的の主張をすることもあります。まあ、こんな限界事例の説明をしても、例外的な現象で、ほとんどは事実がはっきりしていて、事実に対する評価、法律構成もはっきりしている裁判の方が圧倒的です。

私は出来る限り、法律構成は絞って訴状を作成することを心がけます。
あれかもしれないこれかもしれない、どれか一つ認定してくれたらありがたい、という訴状を書いていると、おそらく裁判官にしてみれば、こいつは事実と法律が一対一で対応できへんのか?と思われるのではないか、という懸念を持っているからであり、争点を広げれば広げるほど、争点整理を余儀なくされる裁判所にしてみれば、敵対意識を持ちやすくなる要因だと思っているからです。

さて、上記の法律構成なんて、弁護士が法律の専門家である以上、「ただのスタートライン」でしかありません。
本当に難しいのは、この先です。
原告が望む法律効果を発生させるための法律記載の要件に該当する事実関係が存在するかどうか。
弁護士の裁判における役割は、この事実が存在するということを証拠を引用しながら指摘することです。
証拠が不要な事実というのは、当事者の間に争いがない事実と公知の事実、裁判所に顕著な事実、ですが、後二者は多用すべきものではありません。公知かどうかは評価を挟む事情ですし、裁判所に顕著な事実というのは、同じ裁判の中で当事者の訴訟行為など、その裁判所が自ら知見した内容を前提にするのが通常です。最高裁判例があったことを、裁判所には顕著な事実と引用したら、簡裁でしたが、当裁判所はその最高裁判例を知りませんと言われたこともありました(それはそれでびっくりしますが)。
この要件事実がなんであるか、ということを訴状の段階で整理して、事実として指摘し、証拠はこうですという訴状が作成できるかどうかで、裁判のスタートの位置はだいぶ違います。勝訴判決をゴールとし、被告との競争が訴状の送達により始まるとすると、きちんとした訴状というのは、それだけで道のりの半分以上前から裁判のスタートを切ることができると言っているに等しいのです。
とりあえずやってみて、裁判の中で方法を考える、などというのは、それこそ、訴状の段階で裁判官に冷たい目で見られてスタートを切るわけで、自分は少なくとも被告と同じ位置からスタートを切っている認識なんでしょうが、だいぶ後ろからスタートを切っていることになるのです。

と、私は思っていますけどね。