いろいろ試行錯誤するということ

プライメックスキャピタルもそうですが、依頼者の権利の実現のためには、裁判において、まず依頼者の主張を認定してもらうということが重要ですが、それと同じくらい、判決という紙切れに書いてあることを実現するということが重要です。
結果の伴わない判決は紙切れと同じです。
判例を得るためには、証拠をどうやって入手するのか、証拠はどこにあるのか、主張は法律に照らしてどうか、ということが重要な意味を持っていますが、
判例を形に変えていくためには、
相手方がお金を隠していないか、どうやって見つけるか、その方法をどうするか、ということが重要です。

いずれもいろんなことを試してみて、当然失敗することなど多々ありますが、一つの失敗の中には「じゃあこうしたらどうだろう」という次の成功への示唆に富んでいるものもあります。
そういうことの積み重ねがノウハウの蓄積なのです。

そういうトライアンドエラーの部分は他人に任せて、うまくいったときだけ便乗すれば良いと思っている人が、自分達の狡猾なやり方を正当化するために「研修」だと称して、そのノウハウを提供するように求め出しました。

これからの競争の激化した業界では、そのような手法はおそらく通用しないのではないかと思うのですが、それでも自分達が汗をかくということはしないようです。

私自身、最近はそれほど余裕がないので、経済的にも負担になる新しい試みというのは、なかなか積極的に行うこともできません。
それでも今までの経験が頭の中でのシミュレーションを可能にしてくれていますので、最初の頃に重ねた失敗がここに来て効果を出し始めているということが言えると思います。
これからますます競争は激化していきますし、他人の成果に便乗できる時代ではありません。
間違った弁護士への依頼はそのまま救済されないことを意味します。
弁護士を選ぶときには慎重に情報収集される方が良いと思います。

追伸
医師の世界には、臨床による新たな知見に対し、医師が学説を発表し、学会誌に掲載されたり、学会で発表するということがありますが、クレサラの世界には学会がありません。
理由は簡単です。
他人のノウハウを利用して、それを自分の手柄にしてしまい、広告費用を掛けて、自分がその第一人者であることを吹聴すれば、国民は騙されてくれるからです。
ノウハウの開発コストを掛けずに、他人のノウハウにフリーライドすることで、コストを広告に掛けることができる。
そういうやり方を「賢い」と考えるサルが出てきた時点で、弁護士間の信頼関係は損なわれます。
誰もが努力し、今日判例を提供した人は明日別の人から判例の提供を受けることができる。
そういう人間関係はもう存在しません。
寂しいことですが。