出来レース完結編

まあ、予想通りというか、言葉もありませんね。
しかも、これで過払い金に関し、役員を訴える方法というのは、まず道を閉ざされたと思って間違いないでしょう。
いろんな場所で何度も言ってきましたが、もう一度繰り返しましょう。
武富士の件、管財人訴訟への補助参加以外に、方法は無かったと思います。
その裁判で、一体「武富士の責任を追及する全国会議」は何をしてきたのでしょう?
傍聴席に向かって口頭弁論をしようとしたのではないのでしょうか?盗聴をした反社会的な団体であるとか、明後日の方向の議論をしようとしたのではないのでしょうか?

管財人の訴訟でも請求棄却なのです。これで、「一体何の権限で?」の全国でやっている上団体の裁判は間違いなく全滅するでしょう。

管財人訴訟への補助参加からつまみ出された瞬間、被害救済は終わったのだと私は思います。

単なる一個人の意見ですから、気にしないでください。
ただ、今のところ全部当たっているだけで。

追伸
裁判を山登りに例えてみる
単独行は遭難すれば死亡の確率が最も高い登山スタイルです。
登山家に最も求められる資質というのは、技術よりも、まず臆病であるということです。
自分の能力を過信しない。だから、登る前にありとあらゆるアクシデントを想定し、本番における「想定外」をどれだけ減らすかということにつきる訳です。
自分の力を過信しないこと、それが臆病であり、石橋を叩いて渡るということです。

でも、最終的には登りたい山があって、登ろうとする。
だからこそ、成功するルートをどうやって導き出すか、事前の準備が登山の8割を占めるように、事前の準備が裁判の9割を占めると思います。

今なら少しは、私の言葉も重みを持って受け止められるのでしょうか?

再度追伸
そろそろ、自分達が、いままでぬるま湯に浸かり続けた結果、裁判について行けなくなったことを自覚して、危機感を持って、一から勉強し直すことを考えてみてはいかがでしょうか?
少なくとも、ビラは撒かない、傍聴人の動員で裁判が何とかなると考えない、傍聴席に向かって陳述するフリをして裁判官に圧力が掛けられると勘違いしない、第1回口頭弁論期日に、お涙頂戴の浪花節的意見陳述をしない、そういう裁判を心がけ、どうやって内容で裁判官を説得するかを考えてみてはいかがでしょうか?