裁判を山登りに例えてみる

冬山は単独行は危険です。
氷河にはクレバスがあり、その上を薄い氷や雪が覆ってしまい、見た目には分かりません。
そこで、ザイールで複数人を結び、一人が踏み抜いて落ちても、他の人が助けられるようにパーティーを組んで登る必要があります。
裁判の世界にもこれと同じようなことはあり、複数人での裁判を必要とする場合もあります。
一人の弁護士ではどうしても客観的になれない争点というのもある訳で、そういう時に複数人の視点から証拠を評価したり、事実と評価の間に無理がないかを検討する必要があったりします。
結局ザイルパートナーのうち一人が山頂に立ったとしても、他の人はわずか数m山頂から離れた所にいるだけで、数秒後には山頂にたどり着くように、そうして検討を重ねた弁護士は、一人の弁護士が判決を採ったとしても、早晩同じような判決を得ることが出来るのです。
ところが、麓から見上げるだけで、山頂までの苦労の道のりを単独行で登らせておいて、山頂についたら写真を撮って、その写真をくれたら、自分はその写真を見せ回って、オレが登ったんだぞと吹聴する。
今の判例提供を求める弁護士らのあり方はそういうものです。
で、山頂までの道のりは?あの崖はどうやって超えたの?と聞かれても自ら体験していないから答えられない、裁判所に争点についての事実の評価のあり方についても、当然麓から見上げていただけの弁護士に答えられるはずもない。
山頂の写真を見ただけで、自分は同じ山に登れる気になっているやつ、そういう奴が同じ山に登ろうとして遭難するのです。


日弁連会長選挙
司法改悪を断絶することを公約に掲げる弁護士は立候補するのだろうか。
司法の未来を取り戻すため、旧主流派など論外ですが、何も出来ない宇都宮弁護士も要りません。
和田委員立候補してくれないかな。