司法は誰のために

誰もが小学校で習う三権分立
それぞれに牽制の→があったはず。
司法は、立法と行政に対しそれぞれ違憲審査権を持つことで、他の二つの権力を抑制する。
多数決による少数人の基本的人権侵害を許さない最後の砦である、
みんなそう習ったはず。

その司法において、ビラを配る、人数をそろえて押しかけ、これだけたくさんの人が・・・

私が賛同できないのはまさにその部分
例え一個人であっても、組織と、大規模な資産を有する法人とも、時には国とだって、唯一対等の立場で争うことが許された場所
そうはいっても、一個人と強大な団体組織との間には情報収集力にも財力にも差がある。
この差を唯一埋めて覆すことが出来るのは真実だけ。

そう思って裁判に臨んできたし、その気持ちはこれから先も変わらないと思う。

だからクレサラ対協は許せない。
彼らのやっていることは司法の否定としか思えない。