信義誠実の原則 など

表題は民法の一般原則
民法第1条2項に規定されている。
ちなみに1条3項には、権利の濫用を許さないという規定がある。
民法90条は公序良俗に反する行為は無効とするという規定がある。

この3つを合わせて一般条項という。
講学上、刑法でよく用いられる「開かれた構成要件」というのがある。この条項に当てはめるための事実関係が条文からははっきりせず、実務の現場の判断に委ねられた場合を示す言葉で、刑法の場合は特に罪刑法定主義という考え方があるので問題になりやすい。

もうここまでで、一般の人には何を言っているのかさっぱり分からない話になってしまいましたね。今回はご容赦下さい。
要するに、権利が「濫用される」ってどんな場合?信義誠実の原則ってどんなんで、どんなときにその原則に反したっていえるのか、というのが条文だけ見ていてもはっきり分からない状態のことを言うのです。

だけど、決して消費者に不利益になることをもって信義則に反したとか権利が濫用されたと言っている訳ではないのです。
上記の一般条項というのは、消費者側の弁護士にとってとても重要な条文で、それだけに、濫発して、その価値を貶めるようなことをしてはいけないのですが、そういう認識もなく、それこそ、一般条項の濫用をするために、裁判所の失笑を買い、門前払いの判決を受ける弁護士がいるのです。
私がHPで紹介しているような判例は、応用の事例なのですが、その応用事例と比較すると、上記の一般条項の適用場面を知り、使いこなすことは最低限の基礎だと思うのです。

基礎も出来ない人たちが、応用など出来るはずもありません。

ちなみに、基礎すら出来ていない事例は、「クレサラ対協」という団体の「宣言・決議」のところにある信義則の使用例をご覧下さい。
あれが「信義則」の間違った用法例です。

追伸
弁護士は作家ではありません。

たとえば、証書貸付から不動産担保の借入に間断なく切り替わった場合
「前の証書貸付分の返済は、不動産担保による貸付から出ているのだから、実際には借り増しに過ぎない・・・『だ・か・ら』一連計算すべきである」
 これが論証に聞こえますか?前段の命題から演繹的に後段が帰結できますか?なぜ借り増しにすぎないと一連一体計算なんですか?最高裁がそのように言っている?結果が同じことは、理由が同じ事を意味しないのです。
一応正確に批判しておきましょう。「実際には借り増しに過ぎない」という部分がすでに文学的表現です。「まるまると評価すべきである、が根拠も裏付けもなく言い切りになっているのです」

例えば、途中で業者が代わり、貸付債権は承継したけど、過払い債務は承継していないという主張がなされる(これも定番ですね)
「利息制限法を超える利息での貸付と過払い債務とは『表裏一体の関係にある・か・ら・』過払い債務も負担すべきである」
 これが論証に聞こえますか?表裏一体の関係て何?法律の条文のどこにどのような根拠を求めてどのような裏付けがあっての御主張ですか?
「実際にそのような判例も存在する」そりゃそうでしょう。裁判官の中には手放しで債務者に肩入れする人もいますから。でも法律上の理屈ではなく、単なる文学的な表現ですよね。

上記の同じ結論を導くために、文学的な比喩ではなく、法律上の理屈をもって説明する方法もきちんと存在するのです。
だけど、そういう法律上の理屈を面倒くさいと考え、誰かが結果を出すと手放しでのっかろうとするから最終的に理由も分からずにいる。そして、文学的な表現を真似ているだけの弁護士のところで、裁判官に、その主張は法律論として意味が分かりませんと言われると、逆ギレして、あの裁判官は消費者に対する理解がないとか言い出すのです。
多重債務被害救済を踏みにじっているのは、何の努力もせず、上記の文学的表現が法律の専門家として、意味不明だということに気がつかないあなた方です。