好感度向上委員会

さて近日のブログでは、クレサラ弁護士をこき下ろし中ですが、批判の対象としているクレサラ弁護士にも二種類あります。
まず、一つ目は、それこそ被害者を食い物にして自分の私腹を肥やそうとするCM弁護士(過払い専門とか実績多数とかほざいている)
批判の対象ですが、同時に軽蔑の対象でもあります。
批判による改善を求める訳でもなく(どうせ心を入れ替えることなどない)、さっさと消えて無くなればよいのにと思うだけです。

もう一つは、多重債務の被害救済に活動すると言いながら実体は立法運動しかしていない人たち。
この人たちには、少なくとも批判に対し、批判が間違っているなら反論し、批判が相当だと思うのであれば改善を望むのですが、プライドが高いのか、批判の内容など既に克服している、と言っては同じ過ちを繰り返します。

昨日のブログの一番最後の「文学的表現」ですが、これはすでに今から6年以上前(平成18年に私が某MLを脱退していますので、それよりも前の出来事です)にMLで指摘されていた内容です。洲本の蔭山先生が、表裏一体などという説明は法律上の理屈ではないこと、債務承継の事例の詳細な分析を示しております。証書貸付→不動産担保など、もっと前から、それこそ平成18年の最高裁判決などよりも前からその内容はML上でも指摘しているのです。
要するに、見ていない。みても自分に関係あるとは気づかない。平気で同じ過ちを繰り返す。で、今日に至る訳です。
一度犯した過ちは、二度目がなければ確実に前進しますが、何度も同じ過ちを繰り返すのでは、前に進めません。
当たり前のことですが、プロとしての自覚がない人たちなので、もう遠巻きに批判して、できれば、この先は市民の厳しい視線にさらされることで、緊張感を持ってほしいと思うのです。
無論、こんなことをいっている私には、余計市民の目は厳しく注がれることになるでしょう。
でも、それに応えることで、ほかの弁護士との差別化ができると思います。

日本人の気質として、集団から離れて集団を批判する人間は何かとよく思われないのですが、すでに、何度も警鐘を鳴らした結果、愛想を尽かした今があるのです。
そのあたりをご了解ください。
m(_ _)m