判例について

判例を提供している弁護士なんてごく一部です。
決して多数派にはなりません。
弁護士業界に限らず、新しいことをしようとする人間は常に少数派です。
多数派の、同調性意識とも闘わないと新しい道は拓けないのです。

それでも、目の前に被害者がいるから、救済したいと思うから、その気持ちを大切にして一生懸命頑張る弁護士が居る。
そういう弁護士を尊敬します。

でも、私は判例は出しません。
懲戒されるのは馬鹿らしいと思うからです。

追伸
判例を出さない、と明言するのも結構勇気がいることなんです。
自分が提供しないということは、他人からも提供を受けられないということですので。

元々提供義務はないのですが、世の中にはもらって当たり前と勘違いしている人間が多いのも事実です。
本当は出さないなら出さないで理由は要らないのですが。

フリーライドの何が悪いと言う弁護士も、フリーライドは許さないという弁護士も、結局自分の立場に都合のよい話をして、相手を非難していますが、不毛な争いだと私は思います。
まあ、そういう私も、自分が判例を提供するのは、その判例のための時間を別の弁護士は別の事件に取り組み、その成果を同じように提供してくれるから、一人では限られた時間の中で、たくさんの成果が得られると勘違いしていたので、フリーライドに目くじらを立てていましたが、結局他人のふんどしで相撲を取りたい人間の方が多いのはどの業界も一緒です。
5年前にそのことに気付いたので、もう出していません。

判例を勝ち取った弁護士は、判例を提供しなければ良いのです。そうすればフリーライドなんて出来るわけがないのです。出すからフリーライドの餌食になるのであって、出さなければ不毛な紛争もスタートを切ることができません。

LINAXをフリーで提供するプログラマーも居れば、特許でがちがちに固めたwindowsというOSを有償で提供するプログラマーも居ます。
各人の価値観の問題でしょう。どちらが偉い訳でもありません。
有償のOSが嫌ならwindowsを買わずに、自分で一からプログラムしたってよい訳です。