ネガティブなブログ

だとお友達に言われますので、論調を少し変えます。

弁護士の業務として、やはり前例のない事件に取り組み、それまでの前例を元にしたのでは依頼者の救済にならない事案で、依頼者の救済が出来た事例はやはり心に残ります。

依頼者は同時に一人の弁護士にしか依頼しないわけで、しかも多くの場合人生において弁護士に依頼するなどという出来事が何度もある訳ではないので、弁護士の能力を比較することなど出来ません。
なので、救済された自分が、「弁護士に依頼したのだから、これくらいは出来て当然」と思ってしまうのかもしれませんが。
そういう意味では、どれだけの難関を越えたかということは正直伝わらないのでしょう。依頼を受ける際には、むしろ難しいですよという説明を前提にしているのですが、依頼者によっては報酬をつり上げるためのブラフと考える人も出てくるのかもしれません。

過払い一つとっても、裁判をしてでも取り返さなければ、債務整理が出来ない。本当にギャンブルなんかで借金せずに、自宅の担保に住宅ローン以外の貸付が入ってなければ、こんな高いハードル設定されずに済んだのに、そういう極限の中で、あんなわずかな過払いですらその運命を大きく左右してしまうという出来事もあるのです。
ホームページに掲載していますが、不動産担保から、3年空いて証書貸付。分断させずに不当利得の通算計算が出来ればそれに超したことはありませんが、証書貸付の18%の金利との間で相殺されてしまうと、不当利得にすらならなくなる事例で、錯誤無効による遡及効があって、初めて不当利得が生じる事例。あの金額がなければ、依頼者は今頃家族の間に二度と消えない溝が残ることになります。ギャンブルによる借金であるが故に。

司法の世界においては、大は小を兼ねます。中途半端な事件処理しかできない弁護士のところに依頼しても、大きな差を生じない事例はあります。
しかし、弁護士の能力の差が人生を大きく左右してしまう事例は少なからず存在します。その事例の違いは依頼者には分かりません。私を信用して、私に人生を委ねてくれる依頼者のために、最善を尽くし、その期待に応えるべく努力をする。前例がなくたって、依頼者のために最善と思えば、その方法を躊躇なく選択できる自分であることが弁護士としての信念であり、それこそが責任感だと思います。
自分の人生を委ねるのだから、依頼する前によく情報収集していただきたい。
自分で自分を褒める広告なんかに騙されずに、弁護士を選択して欲しいと思います。
実績の差は責任感の差という言葉は弁護士の世界に最もよく当てはまる言葉だと思います。
弁護士のところであきらめてしまえば、その先はありません。
裁判官の壁に阻まれてしまえば、そこまでですが、少なくとも乗り越えられる壁を弁護士が止めることは、依頼者の人生を弁護士が変えてしまったことになります。
この責任の重さに、日々苦悩するからこそ、その苦悩を軽減するために、毎日の研鑽があるのだと思います。

追伸
ヴィラージュキャピタルに対する判決は確定しました。
理解もしていないのに信義則など振りかざすから、残念な判決が最高裁で出て、ヴィラージュキャピタル相手に裁判しなければならない羽目になりました。
裁判中使用されていたFAXも、現在は送信不能のようで。

まあ、本当に面倒なのはこの後ですね。
代表取締役まで責任追及できるけど。

今年の5月に提訴時効ですね。

どれだけ、支払を放置されている被害者がいるのでしょう?
何もしない自分の弁護士に対し、どうするのか聞いてみませんか?
何をやっても無駄だと吐き捨てられたら、弁護士会に苦情申立してみませんか?